
母性と父性について考えてみる
また、困った風潮として「あなたは母親だから、母性があるでしょう」というものがあります。これは、この国が農業社会から産業社会に移行するときに政策的にとられた役割分担の思想の残滓(ざんし)なのですが、いまだ根強いものがあります。この考えは、明らかに間違っています。
母親だけが母性を持っているわけではありませんね。もし仮に、不幸にしてか、幸いにしてか、片親で子育てするようになる場合が当然あるわけですね。そうした場合、男親が育てたら母性がないのかといえば、そんなことはありませんね。
男親も母性を発揮することができるのです。どちらの性が得意かといえば、おとこは父性、おんなは母性です。
ただ、このごろの子育ての過程で問題なのは、両親とも母性で育てているということではないでしょうか。
誕生して間もない子どもは、お母さんに密着しています。生きるためにお乳が必要です。お母さんが不在なら、お父さんがお乳(自分のではなく)を飲ませなくてはなりません。
また、言葉(母国語)を覚える過程においても、母性が先なだけなのです。後から追いかけて父性が入ってくるのです。そして、母性と父性が交互に、子どもが社会の中で生きていけるように育てていくのです。
これは、順序の問題であると理解してください。最初のほうは母性がいいのです。それから父性が入ってくる。母性は包み込むものですね。父性というのはルールを教え、突き放すものです。
ですから、昔からいわれていたように、女性が役割として育児全般を担当しなければいけない、という考え方には与(くみ)することができません。が、現実的にはお母さんに大きな負担がかかっていますね。
また、私は、産む側の性ではありませんから、にわかに分からないのですが、世間は「母親たるもの、腹を痛めて産んだのだから」を枕詞にして、お母さんに過重な負担、要求をすることがあります。
これは、やはり大きな間違いですね。先ほどのようなグループがなぜできたかというと、〈どんなに愛する子どもでも、どんなに腹を痛めて産んだ子どもでも、今日いなくていいと思うこともある。憎くて、顔も見たくないときもある〉からです。これがごく普通の感情なのです。
もし子どもが 20 歳になるまで、いつもべたべたとくっついていて、「可愛い」「可愛い」といっている母親がいたら、その人は病院に行ってもらわなければいけません。どこかのネジが欠けているか、精神の深いところに瑕疵(かし)があると考えなければいけないですね。
やはり苦しいときがある、嫌なときがある。そのことを分担できる仲間を作ることがたいせつですね。
今のように、核家族でないときはおじいさん、おばあさんが家庭のなかにいました。また、地域の共同体の人垣が子育てを助けてくれていました。そのようなことは、今望めませんから、みんなで知恵を出して育児支援を考えていかなくてはなりません。ですから、憎いと思うことがあってもいいのです。今日はもう、顔も見たくない、食事も作ってあげたくないというときがあってもいいのです。
ほっておけばネグレクトになってしまいますし、食事をさせないと命が危なくなりますから、それはいけませんが、そのような思いになることは子育てのなかで、ごくごく当たり前のことだ、と考えましょう。
絵本に描かれてるやさしさの正体
少し絵本から脱線しましたが、時間が迫ってきました。
今日、皆さんにご紹介しました『絵本・わたしの旅立ち』( NPO 法人「絵本で子育て」センター)の著者・中川正文先生のお話を紹介したいと思います。
中川先生は、私ども「絵本で子育て」センターの顧問もお願いしております。 86 歳の現役作家で、今は大阪国際児童文学館の名誉館長もなさっておられます。
先生のご本の帯に次のように書いてあります。絵本についての本質が読みとれると思います。素敵な文章ですから、ちょっと読んでみましょう。《大人は読み手として一冊の絵本を楽しみ、子どもたちは受け手として、大人が楽しんだのと同じ絵本に感動する。つまり絵本を仲立ちとして経験を共有する。一冊の絵本をとおして経験を分かちあい、更に共に「成長する」というのが、大人と子どもと絵本との基本的な関係であるといえるでしょう。》
中川正文先生は、絵本・児童文学界の大御所です。児童文化学の碩学(せきがく)です。
初の方言(関西弁)の絵本『ごろはちだいみょうじん』(福音館書店)をはじめ、たくさんの絵本や児童文学に関しての著作があります。
先ほど、「ももたろう」のことをお話しましたが、「ももたろう」には、いくつものお話があったのですね。芥川龍之介も『桃太郎』を書いています。
例えば、桃太郎には弟がいたのですね。弟の名前をご存じですか? 桃次郎さんです。桃次郎さんは、頭もよくなくて、弱虫で、とても桃太郎のように勇敢な男の子ではなかったのです。いつも家でしくしく泣いていた。そんな話もあるのですが、この本で中川先生がいわれるのは、桃太郎側でなく、反対側から物語を見る。反対側といえば鬼ですね。鬼の世界から桃太郎を見てみる。このような発想はあまりしません。
『ももたろう』といえば、われわれの頭の中で一つのストーリーが出来上がっています。既知の物語として定着していますね。
中川先生は、阪田寛夫の『鬼の子守唄』(阪田寛夫詩集、ハルキ文庫)を紹介します。短い詩ですので読んでみます。
〈鬼ヶ島の鬼の子はやっぱり夜ふけに泣くのです——〉
《こわいよ かあちゃん / 桃太郎がきたよ / はちまきしめて / のぼりもたてて / ガッパ ガッパ / 海からきたよ / ねんねよ ぼうや / 桃太郎もねんねだよ / 西の空まっくろけ / 東の空まっくろけ / ガッパ ガッパ / こんやはさむい》
これは攻められる側から描いた物語です。
中川先生は、次のように語られます。《この詩が私たちがこれまで語ってきた昔話「桃太郎」と基本的にどこが違っているか、本当の意味での「やさしさ」を詩人がどのような姿勢で描こうとしているか、具体的に改めて考えてみたいものです。》(『絵本・わたしの旅立ち』 63 ページ)と書き、絵本の中に描かれている「やさしさ」の本質に迫っていかれます。
また、この本の中には、『さっちゃんのまほうのて』(偕成社)『すみれ島』(同)、あるいは、金子みすゞという薄命の詩人の詩も紹介されています。
みすゞには、『お魚』(金子みすゞ全集、JULA出版局)という 20 歳のときの詩があります。ご存じの方も多いと思います。
《海の魚はかはいさう。/お米は人につくられる、/牛は牧場で飼はれてる、/鯉もお池で麩(ふ)を貰(もら)ふ。/けれども海のお魚は/なんにも世話にならないし/いたづら一つしないのに/かうして私に食べられる。/ほんとに魚はかはいさう。》
中川先生は、さらに綴られます。《この詩は私たちの胸をなぜこんなに打つのでしょう。それは魚じしん誰からもかえりみられず一生懸命に生きています。にもかかわらず逆にこの私たちが食べてしまう。それは誰もが気がつきながら、同じように平気で魚のいのちを奪って、奪ったことすら忘れている私たちの胸に、ぐさりと突きささるからです。》(『絵本・わたしの旅立ち』 75 ページ)
この文章には、人間というものは、他の動(植)物の命を奪うことで、自らの命脈を保っているという冷厳な事実から目を逸らさない作家の透徹した目が光っています。
『絵本・わたしの旅立ち』は、本には明記していませんが上巻で、先ほどいいましたように先生は 86 歳、命のある限り連載を続けていただこうと思っていますので、多分、下巻も出るはずです。ご期待ください。
さて、話頭があちこちに飛びながら、いつものようにまとまりのないお話になりました。これも、私の個性・特技と思っていただきご海容のほど、よろしくお願いいたします。
絵本については、もう少し詳しく皆さんと一緒に考えたかったのですが、残念ながら時間がきました。
どうか、いろいろな書籍や参考文献を読まれることで、学習を深めていただきましたら嬉しく思います。
今一度、しっかりと考えてほしい
現在の子どもたちが育っている環境を考えるとき、われわれ大人はもっともっと子どもの世界に目を向ける必要があります。
それと同時にもう一ついえることは、広島県ではありませんでしたが、ついこの間、岐阜県庁で職員ぐるみで 17 億円を横領(猫糞)していたのが発覚しました。
また、大会社の社長の大型脱税、高級官僚が税金を誤魔化し私的に流用していたなど、社会の指導層ともいえる大人たちの犯罪は子どもの犯罪の比ではありません。
そんな、ニュースを毎日、見聞きしながら育っている子どもたちは、われわれ大人に生きることの手本を求めることはできません。先行世代が見本になれない社会、今を生きる大人が子どもたちに人生の手本を示すことのできない社会——。このような社会の後続世代にとって、われわれは、見事なまでの「反面教師」であります。
大人の、在り様というものを、今一度、しっかりと考えなければならないのではないでしょうか。
残りの時間が、 5 分となりました。
最後に一冊、絵本を読みたいと思います。『すみれ島』(今西祐行/文、松永禎郎/絵、偕成社)です。この絵本は、いつも中川先生が読んでくださっているものです。まだ、先生から免許皆伝の通知はきていませんが、同じ本を読ませていただきます。
社会や教育、子育てに関しましては、さまざまな意見や考え方があります。何がよくて何がいけないとは簡単には申しません。が、この国の次の首相には、教育基本法を改悪し、更に憲法まで作り変えようと叫んでいる国粋主義の思想の持ち主が、どうも就きそうです。
危うい空気が漂うこの国の中で、子どもたちにはどんな過酷な現実が待ち受けているのかと思うと、心穏やかざるものがあります。そういうなかで、今日は『すみれ島』を読んでおしまいにしたいと思います。文章だけ読みますので、絵は見えません。寝ているかたはそのままで、起きていらっしゃるかたは少しの間、目を閉じていただいて、胸(こころ)の中で、絵を描いていただければと思います。(『すみれ島』全文朗読)
ありがとうございました。(拍手)(おわり) |